黙祷。
今日は夕方から西宮へ出向き
「亡き父〜得津武史に想いを」
ご親族様が主催する得津先生33回忌のイベントに参加してきます。
私は生前の得津先生とお会いしたことがありません。
私が最初に得津先生のことを知ったのは小学生だった頃に行った
「得津先生追悼演奏会」
でした。
小学生の頃、器楽クラブに所属してトロンボーンを吹いていた私に
「吹奏楽の偉い先生が亡くなり先生を慕う上手な学校が一杯集まって追悼演奏をするから」
当時太陽神戸銀行で働いていた伯父さんがそう言って西宮へ連れていってくれたのが今津中や母校との出会いでした。
何も分からない小学生ながらに理解したこと。
ものすごく沢山の人が達が悲しんでいたということ。
演奏の内容よりもこの何とも言えない雰囲気のことしか正直印象に残っていませんでした。
後に私は
「吹奏楽青年」
となり中学時代、高校時代をどっぷりと吹奏楽に浸る生活を送ることになりました。
西宮へ追悼演奏会に行ったことしか記憶にない私。
後に追悼演奏会のプログラムを読み返した時に母校も追悼演奏会に参加していたことを知ることになったのです!
小学生の当時は吹奏楽部に入部するなど全く考えてもいませんでしたが知らず知らず運命の糸は繋がっていたのかもしれません。
高校当時、師匠からよく得津先生や母校の先輩の話を聞く機会がありました。
とても印象に残っているのがヴェルディの
「運命の力」
この楽曲を吹奏楽コンクールで取り上げたお話です。
今津中と淀工が同じ自由曲を演奏するとのことで全国大会に向けて合同練習していた年のお話です。
その年の全国大会の結果は
「母校が銅賞、今津中が金賞」
でした。
僕たちがコンクールシーズンを迎えると
「今津との違いについて…」
「コンクールたるものは…」
そんな人生論をよく師匠の口から聴くことが多く記憶に残っているのです。
「てんぷら棒でのアノ練習」
これもルーツを辿ると得津式だったことを高校生になって知りました。
今では色んな人達が練習の際に当たり前のようにてんぷら棒を使っています。
学生時代は師匠の師匠のことを沢山知りたくて
「今津中の演奏を沢山聞いたり」
「バンドジャーナルのバッグナンバーを読み漁ったり」
今から思えばそんな学生生活を送っていました。
今津中が演奏するマーチ
「メダリオン」
これを聴くと未だにラジオから流れる秋山先生の語りべが聴こえてきます。
今から思えばこんな活動が
「自分の音楽ルーツの基盤なっているのかもしれません。」
後に発売された得津先生や今津中学校などのエピソードを綴った一冊
「天国へのマーチ」
この本には我々にとってたまらないキュンとするお話が一杯詰まっています。
現在キャッスルウインドアンサンブルにて音楽活動をしている私も折に触れて読んでいる愛読書です。
【天国へのマーチに触れた過去ブログ】
〜鈴木竹男隊長や関西の吹奏楽について〜
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/804.html
〜丸谷明夫先生や母校について〜
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/1158.html
「ありがとう得津先生!」
肉体がお亡くなりになられて30年以上の年月がたっても沢山の人たちの心の中に得津先生は生き続けています。
今日はそんな偉大なお父さんが
「生き続けている姿」
これを見届ける1日にしたいと考えています。