ブエノチェ~♪
昨日、私にとって非常に嬉しい再会がありました。
盛況かつ温かい雰囲気に囲まれて終えた昨日のピュアコンサート。
このピュアコンに
「とある方が久しぶりに」
顔を出されました。
私が淀工現役当時に
「母校のコーチをしていたNさん」
との再会でした。
(Nさんとのツーショット)
母校の伝統ある歴史を丸谷先生の片腕として長年支えてきたNさん。
(1989年・全日本吹奏楽コンクール5年連続金賞を受賞した夜の宿舎にて)
私が淀工でキャプテン(部長)を努めていた現役当時
「演奏面」
「運営面」
「メンタル面」
全ての相談役であり、よき理解者だったのがNさんでした。
丸谷先生に直接聞けないことは当時のコーチだったNさんやKさんにいつもアドバイスを頂いてました。
そのおかげで何とかやってこれたと今でもありがたく思っています。
20数年前の学生当時…。
時代背景が現在と違うとは思いますが、当時の私はクラブの練習を終えてからが勝負の毎日でした。
「部長を含めクラブ運営を司る総務(学生幹部のことです)の仕事」
この総務メンバーは先生達と夜遅くまで運営や音楽に関して話をして毎日の練習予定を立てるのが日課でした。
「160名近くいた部員をきめ細かく動かすこと」
「数多くある行事をこなしていくこと」
「精強なチームをつくること」
「自分達が奏でる音楽について真剣に考えること」
これらを実践するにはどうしても避けては通れない必要な時間でした。
そんな時間を過ごしていると日が変わり帰宅するのが午前さんになることが多くありました。
電車などが無いときはいつもNさんが車で自宅まで送ってくれました。
「母校の一時代を築くため時間を惜しまなかったNさんの愛情」
そんな想い出が脳裏によみがえってきました。
私もいつかそんな存在になりたいと心の中でいつも思っていました。
先日発売されたブラストライブ取材において
「淀工での青春の日々について」
想い出を語っています。
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/1146.html
Nさんがコーチを引退されて早くも十数年になろうとしています。
そんなNさんと7年ぶりくらいに再会できて本当に嬉しかったです。
音楽を続けているとそんな嬉しい再会があります。
打ち上げ後、Nさん達と再会を祝して飲み直しに次の店へと繰り出しました。
チーム城陽の一員として活動する私に対してまるで学生時代に戻ったかのようにNさんからアドバイスをもらいました。
「今日は来てよかった。」
「いい演奏会で本当に感動した。」
「でもな。欲を言えばもう少し凄みが欲しいねん。」
「昔の今津中学校の演奏みたいに聴いている人を圧倒するような凄みがいるねん。」
淡々と的を得た話をされるNさんの目は昔と何も変わっていませんでした。
私にとって本当に嬉しい時間でした。
この熱いトークをしている頃、11月4日を過ぎ
「11月5日」
に日が変わっていました。
11月5日と言えば…。
そう。
今津中学校
「得津武史先生」
本日11月5日が命日です。
丸谷先生から
「出棺の軍艦マーチの話」
をよく聞かされました。
事あるたびに偉大なる先人の話を聞いて育った学生当時、私は
「師匠(丸谷先生)の師匠(得津先生)」
このことが知りたくて知りたくて、今津中学校の歴史について書物や音源レコードを集めるなどして自己研鑽した時代がありました。
戦後、命がけで全身全霊をかたむけて吹奏楽を教えた一人の鬼教師の生き様について色々と調べたことがありました。
僕達の青春のアイテム。
「天ぷら箸の指揮棒」
この天ぷら棒の歴史も得津イズムからきているんだと。
生涯の誇りとなる
「音楽」
というかけがえのない財産を得ることができたのもこの
「得津イズムの伝承である」
と染み付いた体がそう言っています。
最近は
「天国へのマーチ」
というバイブルのような本が出版されています。
(天国へのマーチ)
音楽活動をして迷った時には読み返して自分の支えにしている1冊です。
「天国の得津武史先生」
きっと音楽好きの私たちを得津先生がまた引き合わせてくれたのかも知れません。
「ありがとう。得津先生」
※〜キャッスルウインドアンサンブル定期演奏会・第3回祭まで残りあと19日!
未承認 2016年06月04日(土)22時55分 編集・削除
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