ブエノチェー♪
普門館において
「東京佼成ウインドオーケストラ特別演奏会~ザ”MARUTANI”ワールド」
を聴こう!の旅を終えて東京から帰ってきました!
この週末お世話になった沢山の皆様。
本当にありがとうございました。
演奏会での余韻や懐かしい仲間との再会等、嬉しい幸せな気持ちに浸っている最中です。
自身の記録や回想として、あるいは皆さんへの感謝の気持ちを含めまして
「演奏会」
「東京旅」
を通じて感じたことについて記したいと思います。
本日から
「ザ”MARUTANI”ワールドの旅」
と題しまして
①「本プロⅠ部編」
②「本プロⅡ部編」
③「アンコール編」
④「開演前編」
⑤「出発編」
⑥「東京巡り編」
の計6回に分けて記したいと思います。
【本プロⅠ部編】
このような形で
「聖地普門館」
に訪れるなど夢にも思っていなかった。
(聖地普門館)
「丸谷先生が東京佼成ウインドオーケストラの指揮をする!」
「母校の恩師の晴れ姿をこの目で見るために」
「その時に奏でる東京佼成ウインドオーケストラの音をこの耳で聴くために」
「歴史の証人になるために」
これは絶対に聴きに行かないといけないと思い、色んなスケジュールを差し置いて
「東京へ行くこと」
「普門館へ行くこと」
を決めました。
2階席前部のSS席
ここのゾーンはコンクールでいうところの
「審査員席」
であります。
回りを見渡すと
「全日本吹奏楽連盟平松理事長」
をはじめ、色んな有名どころの方が沢山座っておられ、非常に恐縮しましたが
「こんな最高の席で同じ時間を共有できる」
ということに喜びを感じている自分がいることに気がつきました。
いよいよ開演です。
(プログラム表紙)
(プログラム見開き)
【音楽祭のプレリュード】
丸谷先生が入場します。
広い広い普門館の客席が温かい拍手の渦で包まれました。
オープニング曲。
指揮台に登壇して指揮棒を振り上げます。
客席にいるこちらが何故か緊張しました。
淀工吹奏楽部の原点である音楽祭のプレリュードをオープニングに持ってくるなんて憎い演出だなと思いながら演奏を聴いていました。
リード博士の想いや淀工の想い。
我々の先人達の想い。
そんな想いを紡ぐ時間を
「大阪ではなく東京普門館」
で共に過ごすことができたことがなんだか不思議な気がします。
【高度な技術への指標】
つづいて過去の課題曲シリーズが演奏されます。
1974年の課題曲。
「高度な技術への指標」
淀工が初めて全国大会で演奏した曲。
タッタカタッタッター・タッタカタッタッタッター
吹奏楽ファンにはお馴染みのファンファーレから始まる。
東京佼成WO皆さんの
「高度な演奏技術」
にただただ関心するばかり。
昔、先生から聞いた話を思い出す。
「当時はミュートも買えず、アルミで手作りのブランジャーミュートで演奏したんや」
「淀工は全国大会初出場で銀賞。大喜び。名門の天理高校が銀賞で悔し泣きしているのが対照的だった」
38年前のエピソード話をよく聞いた現役時代。
先輩たちが奏でる全国大会の演奏を全てカセットテープに入れ、擦り切れるまで毎日聞いた現役時代が本当に懐かしい。
魂込めてコンクールの練習に取り組んだ熱い夏の日、秋の日の事を思い出す。
【式典のための行進曲「栄光をたたえて」】
2001年の課題曲。
後輩たちが頑張っていた姿を思い出す。
門真のルミエールホールでの練習を見学していた時のことが何故だか脳裏に焼きついている。
母校の中学校で息のかかった後輩たちが一生懸命頑張っていたからかな?
思い出しておこう(笑)
【オーディナリー・マーチ】
2010年の課題曲。
この曲は演奏前の丸谷先生のトークで吹っ飛んだ(笑)
「当時このマーチは難しいと波紋を呼んだetc…。」
この前振りからのオチ。
「曲が悪いのか」
「佼成の演奏が悪いのか」
「今日はどちらであるかお楽しみください」
場内爆笑。
この会場のお客さんをグッと引き込む
「トーク術が丸谷先生の良さ」
だと思っているうちに演奏が終わってしまった(爆)
【行進曲「希望の空」】
今年の課題曲。
作曲者である
「和田信先生」
も会場にこられていた。
8分の6のマーチ。
この通称
「ハチロク」
の拍子は馴染みが薄いので難しいが、きっちり演奏する力があれば、力をつければ
「本当に素晴らしい」
名演が生まれると教えられてきた。
「ハチロクの神様のマーチ」
母校ではよく
「古関裕而先生」
が作曲された
「栄冠は君に輝く」
「オリンピックマーチ」
などを本番に使用する曲や練習曲として演奏した。
これらのマーチは
「8分の6マーチの神様」
と言われた
「古関裕而先生」
の作品です。
余談ですが、関西人の国歌である阪神タイガースの応援歌
「六甲おろし」
も古関裕而先生の作品ですね。
あっ…。
読売ジャイアンツの応援歌
「闘魂込めて」
も古関裕而先生の作品でしたね(爆)
【リンカーンシャーの花束】
丸谷先生はグレンジャーが作曲したリンカンシャーの花束を昔から
「ええ曲なんやけどなぁ。お前らじゃあかんわ(演奏できないわ)」
と言いながらもこの曲に対する想い入れの片鱗をよく我々に見せていた。
最近の現役生は頻繁にこの曲を演奏しているようです。
昔の先生は、
「よし。リンカーンシャーやろうか。」
となかなか言ってくれませんでした。
しかし、時はやってきました。
1990年。
私たちが現役最後の高校3年生の関西大会。
全日本吹奏楽コンクールで5年連続金賞をとった次のとしであったため、この年は
「大阪大会」
「関西大会」
「全国大会」
全ての大会において招待演奏(特別演奏)だったため、
「コンクール独特の緊張感」
と縁がない1年となりました。
その反面
「先輩方が築いてきた淀工の伝統を肌で感じる年」
でもありました。
ちなみにその年の招待(特別)演奏曲について触れると
「大阪大会~アルメニアンダンスパート1・ファウスト劫罰よりラコッツィ行進曲・ボギー大佐」
「関西大会~ホルスト第一組曲全楽章・リンカーンシャーの花束第2楽章・美中の美・トロイメライ」
「全国大会~歌劇アイーダより第2幕・ザヒットパレード」
を演奏しました。
ご覧になってお分かりのように、どこの大会でも同じ曲が被らない演奏曲をチョイスしました。
この関西大会での尼崎アルカイックホールにおいて
「淀工史上初めて」
となる
「リンカーンシャーの花束」
を演奏しました。
しかし当時は全5楽章を演奏せず
「第2楽章~ホークストウ農場」
のみを演奏しました。
「深い音がする叙情歌」
の雰囲気を醸し出せたのではないかと当時を振り返っています。
MARUTANIワールドに話が戻りますが、リンカーンシャーの曲解説時でも丸谷先生のトークは炸裂でした(笑)
「イギリス民謡をひとつひとつ紡いだ歌の花束です」
「とても長い曲なんであそこに置いてある特殊な鐘が鳴ったら曲の終わりが近づいてきたと思って下さい」
「行方不明の婦人が発見される。こんな変わったタイトルの曲です」
会場の普門館がまたまた爆笑の渦に包まれました(爆)
コンクールではありえない会場の温かい雰囲気。
ここは普門館なのか?と錯覚に陥りました(笑)
第Ⅰ部ラストの曲が奏でられます。
東京佼成ウインドオーケストラの演奏を指揮する恩師の後姿。
私たちに
「熱く語りかけ接してくれていたあの日」
と全然変わっていない師匠の姿がありました。
「この人は本当に音楽を愛しているんだな」
と改めて再認識しました。
我々がこのイズムを受け継いでいかねばならない。
丸谷先生からの
「無言のメッセージ」
を胸に刻み込みました。
※~②「本プロⅡ部編」に続く