ブエノチェ〜♪
引き続き!
活惚れ2012の所感についてブログを綴ります。
少し丁寧に書き記したいので㈭以降を追記します!
①サウス・ランパート・ストリート・パレード編
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/1025.html
②じゅげむ&吹奏楽のための神話編
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/1026.html
③ミス・サイゴンシンフォニックポートレート編
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/1027.html
④かっぽれファンク編
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/1029.html
⑤合同演奏(風之舞)編
⑥合同演奏(アルメニアンダンス)編
⑦合同演奏(アンコール〜さくらのうた)編
⑧合同演奏(アンコール〜AWL・希望の空)編
⑨ゲネプロ・準備・取材編
打上げ編
本日は
「⑤合同演奏(風之舞)編」
をお楽しみ下さい。
【合同演奏(風之舞)編】
「トントントン・ピーヒャラ・トントン」
風之舞と言えば私はこのフレーズを思い出す。
福田洋介先生の代表作と言えば
「2004年度(平成16年度)吹奏楽コンクール課題曲・風之舞」
この曲をあげる方が多いのではないだろうか。
風之舞は某テレビ局による番組のコーナー
「笑ってこらえて吹奏楽の旅」
において、淀工の丸谷先生による
「トントントン・ピーヒャラ・トントン」
「祭りの始まりや」
このくだりで吹奏楽を知らない一般視聴者の方々にも
「吹奏楽コンクール課題曲」
「吹奏楽の世界」
として広く周知されるきっかけとなった一曲である。
今回の活惚れ2012の客演指揮者の福田洋介先生。
出会いはこの頃から始まっていた。
我々と福田先生とのリアルなシンクロは昨年。
大阪には吹奏楽の伝統行事がある。
大阪の楽器っ子は、
「大阪城野外音楽堂」
において毎年行われる
「春のスプリングコンサート」
「夏のたそがれコンサート」
で育ったと言っても過言ではない。
この伝統行事は昔
「天王寺野外音楽堂」
にて行われ、広く市民に親しまれていた行事だった。
野外音楽堂が天王寺から大阪城の麓に移転したことに伴い1982年(昭和57年)以降はこの
「大阪城野外音楽堂」
で開催する春と夏の大阪の風物詩となり現在に至っている。
大阪の楽器っ子は、楽器や吹奏楽に触れる物心がついた時から
「大阪市音楽団の演奏を身近に肌で聴く」
「自身も出場団体として参加する、或いは聴衆として参加する」
など大阪城野外音楽堂とゆかりが深い。
よって、大阪の学生達は
「大阪城」
を眺め四季を感じながら楽器や音楽に触れる機会や環境が多いことから
「大阪城がこころのふるさと」
になっている所以なのである。
我が吹奏楽団
「キャッスル・ウインド・アンサンブル」
トレードマークは言わずと知れた
「大阪城」
である。
キャッスルのネーミングも大阪の音楽文化の歴史を汲スピリッツが根底にあり、更には広い意味で
「大阪の楽団を象徴するバンド」
として育って欲しい、育てていく想いや願いが含まれている。
福田先生との出会いに戻ろう。
福田先生とは昨年、大阪城野外音楽堂たそがれコンサートの打ち上げの席で田中先生や松田さんを介してお引き合わせして頂いた。
その際
「何か楽しいことしましょう」
との話がリアルに現実化した!
この時、福田先生、本年度吹奏楽コンクール
「さくらのうた」
朝日賞受賞が決定した非常におめでたいお祝いムード一杯のタイミングでもあった。
その後、昨年9月にスタッフとの会合を終え、正式にオファーを受けていただく流れになった。
我々の想いとして福田先生に是非、代表作
「吹奏楽のための風之舞」
これを振ってもらいたかった。
なぜなら色んなバンドがこぞって取り上げているこの作品を作曲者自身のニュアンスやアプローチなど
「生の声」
これに触れてみたかったからだ!
活惚れ2012で演奏した
「風之舞」
旋律を丁寧に捉え、今にも動きだしそうなダンスリズムにのせて曲がながれていく。
気がつけば立体感ある本当にドラマティックな演奏になった。
ここで福田先生のTwitterによる感想を引用したい。
(本人よりご了承を得ています)
(以下ツイート本文)
「活惚れ」
昨年夏に大阪の友人が
「引き合わせたい人がいる」
と紹介してもらったのが縁で、ジョイントステージのお話が進む。
名前が
「キャッスルウィンドアンサンプル」
とは随分大きく出たなあという印象、生島団長含め幹部の皆様はそれはそれはアツい人たちだな!という第一印象。
ジョイントステージの演目は風之舞とアルメニアンダンス。
風之舞は自分と吹奏楽のつながりを強固にしたくさんの方々と出逢うきっかけとなった重要な作品。
それは2003年に大阪市音楽団により公募審査会で演奏して頂いたことから、大阪とのご縁が始まっている。
2004年には淀川工科高校with丸谷先生の演奏により全国的に知られるようになるメディアの偶然。
丸谷先生とも時たま
「あれはお互いにええ機会やったなぁ」
と語り合うくらい。
プログラムで取り上げた風之舞、アルメ、そしてアンコールでさくらのうた。約90人のメンバーが、一生懸命に演奏をした結果、予想だにしないボリューム感とドラマ感のある演奏が叶った。
すべてはそのシンドイ練習の成果か。
偶然にもその中に、淀工が普門館で風之舞をやった当時のメンバーが居た。
「正直、出演するか迷ったんですよ。
なぜってあの曲は自分にとって当時の生活のすべてだったし、ここまで生きてきた中でもやっぱりあれは一番の演奏だったし。それをいくらふくださんとやるからといって…当時の自分を超えることはないと思ったし…って、けど、ここでふくださんと一緒にやるのも、何か違う見え方があるのかなと思ったんです」
とても真摯に話をしてくれた。
そのフクザツな思いがよくわかるし、そして率直にうれしかった。
(引用終り)
福田先生とのコラボレーション。
本当に初めての絡みなのかな?
錯覚に陥るくらいしっくりしていた。
会うべきにして会ったような感覚。
交わるべきにして交わった結果。
偶然というよりも必然。
そんな運命的な気がした。