ブエノチェ~♪
皆さ~ん!
忙しい師走、如何お過ごしでしょうか?
昨晩とある方からメールが届いていました。
宛先を見ると
「H先生」
からでした。
珍しいな。
何だろうと読んでみると…。
「11月30日をもちまして大阪市音楽団楽団長を退任しました」
えっ。
何で?
理由は体調不良とのことでしたが
「演奏現場を大胆に若い後輩たちに今後を託すことにいたしました」
とのこと。
長年ずっと頑張ってこられていた姿を見ていただけに残念でなりません。
還暦まであと数年頑張れるのに…。
H先生との出会いは私が中学時代の時でした。
母校の師匠K先生が連れてきたサングラス姿のお兄さん。
大阪市音楽団トランペット奏者のH先生でした。
今から30年前の話です。
学生時代
「たそがれコンサート」
「定期演奏会」
などの
「大阪市音楽団の演奏の数々」
折に触れ市音の音楽を聞いて育った僕たちがいました。
時は流れ、私は職業音楽家として活動していた時期がありました。
職業音楽家を卒業した際、音楽と離れたくなかった私は
「どこかの一般楽団で活動しよう」
そんな自分の居場所を探していました。
そんな時
「私に大阪市民吹奏楽団への入団を勧めたのもH先生」
でした。
気がつけば4年間在籍した市吹を離れ、私はサクソフォンアンサンブル活動を中心に音楽活動を続けていました。
その後H先生とは師匠であるK先生が勤務する中学校の吹奏楽部を支援しようとトレーナーや指導陣の一人として我々と共に関わりを続け音楽現場にいました。
師匠K先生が教える
「生徒達の笑顔や涙を見るのが一番の楽しみ」
であり、我々のやりがいでもありました。
いつか私は想いある仲間と共にキャッスルウインドアンサンブルを立ち上げ現在に至っています。
ところが時代の波はやってきます。
時の市長、市政により世間をにぎわせた
「大阪市音楽団民営化」
我々も存続活動をしましたが民営化への流れを止めることはできませんでした。
そして今回のH先生からの報告。
なんだか
「灯台の灯が消えた」
そんな気分になりました。
仕方ないですね。
複雑な気持ちではありますが
「H先生!長きにわたり教育現場、音楽現場でのご奉公本当にお疲れ様でした!」
その時、その場所で思うようにできたこと。
その時、その場所で思うようにできなかったこと。
色んなことが一杯あり想いが交錯していますがこれまで色々とありがとうございました!
体調が戻れば是非
「昔のように朝まで飲みあかしたいです!」
そんな楽しみを抱きながら体調回復をお祈りしておきます。