ブエノチェー♪
吹奏楽の聖地
「普門館」
にて開催された
「東京佼成ウインドオーケストラ特別演奏会~ザ”MARUTANI”ワールド」
①「本プロⅠ部編」
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/953.html
②「本プロⅡ部編・祝典序曲」
http://blog.castle-wind.com/g_director/archives/954.html
③「本プロⅡ部編・大阪俗謡による幻想曲」
④「本プロⅡ部編・アルメニアンダンスパート1」
⑤「アンコール編」
⑥「開演前編」
⑦「出発編」
⑧「東京巡り編」
の計8回に分けてレポートしたいと思います。
本日は
③「本プロⅡ部編・大阪俗謡による幻想曲」
をお楽しみ下さい。
【大阪俗謡による幻想曲】
淀工から切っても切り離せない曲
それが
「大阪俗謡による幻想曲」
であると思っています。
淀工の記録と歴史はこの
「大阪俗謡に始まり大阪俗謡で一つの時代を締めくくった」
と言っても過言ではありません。
当時は制度としてまだあった
「全日本吹奏楽コンクール5年連続金賞受賞」
という偉業への挑戦。
全国大会に出場するのも並ならぬことなのですが
「5年連続金賞受賞」
この記録に挑んだのが淀工だったのです。
目標意識を持って頑張っている
「丸谷先生や先輩の姿」
そんな姿に憧れていつしか私もその一員になりたいとの想いで母校の門をくぐることになりました。
全日本吹奏楽コンクールにおける母校の記録について振り返ってみます。
1980年 金賞 吹奏楽のための「花祭り」・大阪俗謡による幻想曲
1981年 金賞 イリュージョン・歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲
1982年 金賞 アイヌの輪舞・エル・サロン・メヒコ
1983年 金賞 吹奏楽のためのインヴェンション第1番・吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による
1984年 銀賞 シンフォニエッタ・「寄港地」よりチェニスからネフタ、ヴァレンシア
4年連続金賞受賞で王手をかけましたが、先人の想いはあと一歩のところで
「運命のいたずら」
に泣かされました。
私が好きなのはここからの丸谷先生の想いや先人たちの想いです。
この悔しさをバネにして
「アポロ計画」
を立案。
そして次なるステージの目標へと立ち向かったのです。
1985年 金賞 OvertureFIVERINGS・エル・サロン・メヒコ
1986年 金賞 コンサートマーチ「テイク・オフ」・アルメニアンダンスパート1
1987年 金賞 ムービングオン・トッカータとフーガニ短調
1988年 金賞 カーニバルのマーチ・吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による
1989年 金賞 ポップスマーチ「すてきな日々」・大阪俗謡による幻想曲
沢山の人力により、見事
「全日本吹奏楽コンクール5年連続金賞」
という
「金字塔」
をうちたてることができました。
「前人未到」
このミッションを完遂した丸谷先生をはじめ沢山のOBや関係者さん等の
「笑顔」
を今でも忘れません。
当日の夜は東京ドームの近くにある本郷の宿舎で
「赤い必勝だるま」
の目を塗りつぶしました。
緊張から解放された心境。
このまま眠りたくない。
いつまでもこの余韻に浸っていたい。
そんな気分でした。
例えるならばオードリヘップバーンが主演したミュージカルのマイフェアレディより
「I could have danced all night (踊り明かそう)」
この気持ちがぴったりだったことを鮮明に覚えています。
(必勝だるまに目を入れます)
受賞後は我々が想像していた以上に本当に色んな方が丸谷先生や私たちを祝福してくれました。
このように大阪俗謡は
「淀工吹奏楽部の一世代を築いた曲」
であると私は捉えています。
(宿舎にて)
以後、その想いは後輩たちに受け継がれ
1997年 金賞 大阪俗謡(3回目)
2001年 金賞 大阪俗謡(4回目)
2005年 金賞 大阪俗謡(5回目)
2008年 金賞 大阪俗謡(6回目)
2011年 金賞 大阪俗謡(7回目)
と土付かずの曲なのであります。
大阪俗謡による幻想曲は、丸谷先生を通じて見知らぬ先輩と後輩をつなぐ
「伝統芸能」
であり、芸術と技術の伝承のように
「母校の歴史の中の大切な節目」
で使われている曲であります。
何度やってもその時、その時の世代で色んな演奏があり、大阪俗謡を聴くと母校の
「記念アルバム」
見ているような気分になります。
東京佼成WOによる普門館での演奏。
作曲者である
「大栗裕先生」
がお亡くなりになられて
「30年」
という節目の年。
そんな節目に
「丸谷先生が東京佼成WOの指揮者として大阪俗謡を振る」
私はこのMARUTANIワールドにおける数ある演奏曲の中でも
「大阪俗謡による幻想曲」
が一番の楽しみでした。
東京佼成WOによる大阪俗謡が始まります。
ピーッ・パリーッ・ドンッ
天神祭りの花火が夜空に打ち上がりました。
音楽と言うのは不思議なもので
「同じ曲でも表情が沢山ある」
ということです。
23年前に
「普門館の漆黒の舞台」
の上に居る自分の姿を探していました。
ちょうど
「コンサートマスターの須川さん」
が座っている位置あたりにいるはずです。
当時の思い出が記憶の奥底からよみがえってきます。
1989年7月25日
「先生。天神祭り行ってきていいですか?」
「何しに行くねん」
「大阪俗謡のモチーフ天神祭りを見てきます」
「遊びにいくんちゃうやろな」
「はい」
「行ってこい」
大阪天満宮で
「コンクール必勝祈願」
の願掛け。
1989年7月26日
「先生。天神祭り行ってきました」
「おう。どうやった?」
「天満宮でお土産買ってきました!」
「何や?」
「天神祭りの絵葉書セットです!」
「おぉ~これええなぁ!」
「何かに使われへんかな?」
私は当時クラブの中で
「コントツ」
をしていました。
コントツとは
「コンクール突撃委員会」
のことで
「部員の士気を盛り上げたり」
「どうすれば演奏がうまくいくか?」
「どうすれば部員の気持ちが一つにまとまるか?」
という係をしていました。
後に私が買ってきた絵葉書をモチーフとして
「美術の先生」
が淀工吹奏楽部のために
「天神祭りの絵」
を書いてくれました。
8月に入ったとある暑い日の出来事。
「何ボケまくっとるねん。全然気合入ってへん!」
「お前ら自分らのためだけにやっとったら承知せんぞ!」
「お前らに10年分の想いが分かるか?」
「負けたかったら今すぐここで辞め。やらんでええ!」
「ここで頑張らんでどないすんねん。ちょろこいわ!」
関西大会の数日前。
京都会館で練習した帰りのバス車内での出来事でした。
人は母校を
「常勝集団」
と言うけれども
「プレッシャー」
という常に見えない敵や不安との戦いの毎日でした。
関西大会での演奏を終え、全国大会出場が決まった瞬間
「僕たちで記録を止めずに本当によかった」
という
「安堵感」
に包まれながらも普門館での演奏という更なる挑戦の始まりとなりました。
全国大会当日の普門館
「5年連続金賞」
という大きなプレッシャーを背負った状態での演奏となりました。
普門館の舞台に上がり照明がつくと
「会場内がシーンと水を打った静けさ」
となり、空気が変わったことが瞬時に分かりました。
課題曲のすてきな日々
ポップス感を出すのが本当に大変でした。
スイング奏法。
タルタルタルタ
遠征バスの中でこればかり口ずさんでいました(笑)
すてきな日々の演奏中にとある事件が起こりました。
「曲の演奏中に先生の手元から指揮棒が飛んだ」
のです。
演奏しながらクラリネットの前に落ちていく指揮棒の軌道が見えます。
丸谷先生は動じることなく
「素手で笑顔」
で指揮を振っていました。
えっ?
23年前の再現か?
MARUTANIワールド演奏会における普門館舞台上でも
「23年前の指揮棒にまつわるよく似た光景」
を見たような気がしました…。
課題曲の演奏を終え、自由曲の大阪俗謡に移る前に一度気分を切り替えます。
ピーッ・パリーッ・ドンッ
天神祭りの花火が夜空に打ち上がりました。
だんじりの中から聞こえるちゃんちきの音
だんじりの前部では
「竜踊り」
をしているおじさんがいます。
太鼓の音や祭囃子が聞こえます。
神社の境内には獅子舞が巡行しています。
夏の夕立。
雨宿り。
軒先から地面へと雨がしたたる音が聞こえます。
船渡御の群れが悠々と堂島川を渡っています。
お祭りのクライマックスはプレストでテンポを巻き上げ一気にエンディングへ!
「ワーッ」
曲が終わると
「滝のような歓声と拍手」
に包まれている自分たちがいました。
結果発表。
「大阪府立淀川工業高校・金賞」
本当によかった。
努力が報われたことが嬉しかった。
当時、丸谷先生から言われた言葉があります。
「日本一にならんでもえぇ。日本一の努力したらええんや」
これは当時の我々を支えていた魔法の呪文です。
努力すれば結果は後からついてくるという丸谷先生の教えでもありました。
全国大会から帰ってきてからも更なる嬉しかったことがありました。
「遠征から帰ってきた部室に『すてきなお土産ありがとう』の垂れ幕が飾ってあったこと」
「学校の先生たちが本当に喜んでくれていたこと」
「大阪府吹奏楽連盟の主催により青少年会館・堺市民会館・箕面市民会館の3箇所で祝賀演奏会を開催して下さったこと」
本当に沢山の人の想いを感じとり
「ただただ感謝するばかり」
でした。
私はその後もっと嬉しい出来事がありました。
美術の先生が書いて下さった
「天神祭りの絵」
が
「絵葉書」
となり、翌年のグリーンコンサートのプログラムに挟まれることになりました。
(美術のS先生が描いた天神祭りの絵)
淀川工業高校の
「伝統芸能」
その名は
「大阪俗謡による幻想曲」
であります。
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ザ”MARUTANI”ワールドの旅~③「本プロⅡ部編・大阪俗謡による幻想曲」
コメント一覧
みのる♪ 2012年08月20日(月)01時45分 編集・削除
おおたさん♪
はじめまして。
当ホームページへの訪問及び書き込みありがとうございます。
コメントを読む限り私の母校の先輩とお察します。
29年前の神話を母校が演奏した時に、テナーサックスとトランペットにおおたさんがおられたかと思います。
私は先輩らが演奏された神話から5年後の
「1988年(昭和63年)に吹奏楽のための神話」
を演奏したメンバーの一人です。
このような形で現在も大好きな音楽を続けています。
色々と書き記していますのでまた遊びに来て下さい!
おおた Eメール 2012年08月16日(木)13時58分 編集・削除
同僚の娘さんが今日、東京大会に出てるとの話から、何となく懐かしくなり淀工/吹奏楽部で検索し辿りつきました。
今年の4月にこんな事が行われていたんですね・・・しかも東京で。
30年近くこっち(東京)に居ると、なかなか情報が流れてこないものです。
そうか、丸谷先生、元気なんだ。
何か嬉しいなぁ。
久しぶりに29年前の普門館の舞台で演奏した”天の岩戸”が聴きたくなりました。