先日終演した
「第6回大阪府職場・一般吹奏楽フェスティバル」
丸谷先生への追悼演奏曲として演奏した
「マイ・ウェイ」
について綴ります。
合同演奏出演者の皆さんや合同演奏指揮者の伊勢先生。
皆それぞれに想いをもって演奏されていたのがとても伝わるステージでした。
私もそのうちの一人でありましたが母校での思い出や一般楽団を始めてからの思い出が走馬灯のように巡っていました。
本番日の朝。
あの日と同じ青空でした。
母校の後輩たちが演奏する
「カーペンターズフォーエバーの演奏で霊柩車が見送られた丸谷先生とのお別れ日」
あの日と同じ晴れ晴れとした青空でした。
フェスティバルホールに入る前、青空を見上げ演奏会の成功を願いました。
マイウェイとの思い出。
母校に入って校舎を歩いているとどこからともなく聞こえてくる歌。
「今 船出が近づくこの時に ふと たたずみ 私は 振り返る」
母校のグリークラブの学生がピアニカを吹きながら音をとっています。
グリークラブの演奏会のラストで必ず演奏する曲。
「マイ・ウェイ」
母校は吹奏楽部も全国区でしたが、当時は男性合唱団のグリークラブも全国大会に出場するクラブの一つでした。
丸谷先生もよく
「あいつらようやっとる。あの歌は上手い」
と褒めていたことを思い出します。
振り返ると
「人生の区切りでフェスティバルホールの舞台に立っている」
そう感じたことも一つでした。
母校の演奏会。
「グリーンコンサート」
今年50回の記念演奏会でした。
しかし丸谷先生の姿はそこにはありません。
先生がいないグリコンを聴きに行き、いるべき人がいない淋しさを肌で感じました。
高校現役引退の最後の舞台
「フェスティバルホール」
今日はここで丸谷先生の追悼演奏を行う区切りの場所になるんだと。
演奏会を開催できたことは嬉しかったのですが、本番が近づくにつれて色んな感情が高ぶる自分がいるのが分かりました。
演奏曲のマイウェイ。
ニューサウンズインブラスの父といわれる
「岩井直溥先生編曲の作品」
昭和の香りが漂う渋い編曲。
日本の吹奏楽のスタイルを変えていった先駆者のアレンジです。
1974年に発売されたニューサウンズインブラス3集目。
中学生の頃、レコードが擦り切れるまで何度も聞いた演奏。
サクソフォン奏者
「塚本紘一郎さんが奏でる音」
この音を何度も何度も聴いていた頃を思い出しました。
本番の舞台で演奏するマイウェイ。
演奏前に丸谷先生の肉声がフェスティバルホール内に流れます。
第1回演奏会での先生と司会者水野さんとのインタビューの音声です。
インタビュー終了後
「そのまま先生がフッといつもの笑顔で現れるんじゃないか」
錯覚するような感覚に陥りました。
今回の指揮の伊勢先生も同じような気持ちでいたのではないかと思います。
演奏が始まります。
岩井アレンジの何とも言えない情感高ぶる音色が流れます。
「あぁ始まった。」
そう感じながら演奏していました。
岩井先生と言えば課題曲も多く手掛けています。
「1989年課題曲Dポップスマーチすてきな日々」
全国大会で演奏した日のこと。
全国大会5年連続金賞がかかったとても重圧のある年。
大阪俗謡と共に必死で練習した日々が頭によぎりました。
キャッスルを創設する時丸谷先生に報告した日のこと。
同期の結婚式、浜松での宴席の時にお酒を交わしながらお話したことを思い出します。
「おう。楽団創ることはええことやな。せやけどな。中途半端やったらやめとけよ。真剣にやらなあかん。覚悟持って。」
笑いながらも重たい話を頂戴したなと感じたことを思い出しました。
「先生、今もその気持ちを忘れずに持ち続けて活動していますからね!」
キャッスルで演奏した
「紫黒城のテーマ」
大栗裕先生作曲の
「大阪俗謡による幻想曲」
大阪俗謡で使っている
「高津宮の歌」
などをモチーフに福田洋介先生に委嘱して作っていただいた曲。
2年ぶりに開催するこの演奏会で演奏することもご縁であるとの必然性を感じていました。
マイウェイの演奏のソロが近づきます。
スタンドプレイに移る数秒間の間に色んな想いやエピソードが頭の中を走馬灯のように駆け巡ります。
立った時にに少し風を感じました。
客席が滲んでよく見えませんでした。
アルトサックスを馬鹿みたいに何時間も吹いていた学生時代に戻っている自分がそこにいました。
懐かしい岩井サウンドと共に。
「天国の先生にメッセージしっかり届いたかな?」
たぶん
「おお。そんな感じでええわ。」
そう言ってくれていたかと思っています。
学生の頃、この不愛想な誉め言葉をもらうのが嬉しかったことの一つでした。
終演後は舞台袖でただただ溢れる涙が止まりませんでした。
「また一つの区切りをこのフェスティバルホールで迎えたなと」
丸谷先生へ。
本当にありがとうございました。
残してくれたものを大切に育てていきます。
この経験が
「人の心に響く音楽を奏でる糧(かて)になるように」
教えを守り、花を沢山咲かせる活動を続けて参ります。
「マイ・ウェイ」
私の在り方を求めて。