全国1億2千800万人の皆さんこんにちは。
うどんレポートです。
ユーミンはポートレートです。
うどん道は険し
「たのもう」
と意気込みのれんをくぐればパラダイス。
その一足が道となる。
「ドンドンドンッ」
試合開始。
「人は生まれ育った街に帰ってくることで安堵を得る」
何故でしょうか。
生れ故郷だからですかね?
本日取り上げるお店は
「ちとせ食堂」
です。
(ちとせ食堂)
蒲生四丁目にあるこの食堂。
「創業昭和2年の老舗食堂」
昔から地元庶民に愛されてきた食堂です。
私も父もお世話になった食堂です。
昔はこの並びに市場がありましたが火災で焼けてからは少し人の流れや街並みが変わりました。
食堂の前に佇んでみる。
父からよく聞かされた話。
「昔、箕面の高校に通っている頃はここからチンチン電車(大阪市電の路面電車)に乗って梅田の阪急前まで行ってたんや」
「スパーガーデンのステージでバンドボーイのアルバイトしながら音楽の勉強したんや」
「もう無くなったけれど警察署の横にお母さんと結婚式を挙げた結婚式場があったんや」
そんな父から聞いていた言葉を思い返しながら店内に入ります。
食堂メニューの中心は定食とお惣菜ですが、うどんも人気が高いメニューです。
父が大好きだった
「肉うどんをオーダー」
しました。
(肉うどん)
優しい出汁にお肉の油がさらに甘みを増してくれます。
口にするとホッとする懐かしい味です。
ちとせ食堂にきたのも父の入院看護の合間を見てのことでした。
癌の病に侵され緩和ケア病棟に入院している父。
生まれ育った街で終末期を迎えている。
私に音楽の楽しさを教えてくれた父。
「小学校の校庭キャンプでGSバンドメンバーを引き連れて演奏してくれた父」
エレキギターを弾きながら歌う父の姿に友達たちが大きな声援を送ってくれた。
そんな私はエレキギターを手にすることなく小学校のクラブでトロンボーンを始めた。
楽器は違えど私が音楽をする事に後押しを沢山してくれた父。
中学に入ってからはサクソフォーンと出会い、永遠の恋人サクソフォーンと現在も共存している。
これまでの自分の人生について振り返ってみる。
中学時代も。
高校時代も。
職業音楽家時代も。
音楽活動する私を父はいつも陰ながら応援してくれていた。
キャッスルウインドアンサンブルの演奏会にも頻繁に足を運んでくれていた私やキャッスルのファンだった。
そんな父。
癌という病には勝てず9月16日帰らぬ人となった。
病床で70歳の誕生日を祝った2日後のことだった。
父の戒名は
「響優修好信士(きょうゆうしゅうこうしんじ)」
なる名前を頂いた。
あの世でもきっと楽しく過ごしていことだと思っています。
「人は生まれ育った街に帰ってくることで安堵を得る」
何故でしょうか。
生れ故郷だからですかね?
人は過去の思い出を美化してしまうので生まれ故郷を 一番良いものに感じてしまうのかもしれません。
時間一杯!
「ドンドンドンッ」
試合終了。
合掌。
【うどん】 ☆☆☆
【出 汁】 ☆☆☆☆
【メニュー】 ☆☆☆
【値段帯】☆☆☆☆
【インパクト】☆☆☆